本を読んで考えたこと

ツイッターのロングバージョンです

汚くて綺麗(大江健三郎『見るまえに跳べ』)

 「汚いから綺麗」でもなく、「汚いけど綺麗」でもなく、「汚くて綺麗」。大江健三郎の描く世界にはそんな言葉が合うと思った。 3年ぶりに彼の小説を読んだら、今の方が感じるものが多かった。とにかく純粋だと思った。

 

見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

 

 

 新潮文庫の背表紙の色には、昔から馴染みがあるせいか結構影響されている。大江健三郎の茶色は漱石の茶色とも似ているが、実際よりどす黒いイメージがある。今カバーを外して改めて見てみたら、案外明るい色だった。

 かつて友人と書店の新潮文庫の棚の前で、「大江はクソみたいな色してるよな。」とふざけて笑った思い出があるが、当時の私にはそれが精一杯の賞賛だったのかもしれない。そんなクソみたいな色が、彼の紡ぎ出す言葉と混ざり合って、嗅覚にも触覚にも訴えてくるような、攻撃的な文学。お前が今いるのはこんな場所なんだ、お前が今立ち向かうべきはこんな世界なんだ、わかってるんだろ?さぁ目を開けろ、と動けない状態で暴力を振るわれているような。なのに痛くない。その攻撃に耐えることで、強く立ち直ることができると知っているから、冷静でいられる。

 私にとっては、自分が生ゴミの中に飛び込むような、知らない人間の精液を浴びるような、血を飲ませられるような、そういう強烈なイメージを伴う読書体験。以前はここまで強烈ではなかった。人生経験が不足していたせいか、超未熟だったせいか。「自分はここまで酷くなってないから大丈夫だ」というような安心感もあったかもしれない。なのに今、逆に突き刺さるように感じるのは、二十歳過ぎくらいまでのみずみずしさがどんなに汚れたイメージからも想像できてしまうから。自分の中にはなくなってしまった綺麗なものが鮮やかに映るから。多分そう。もはや美しい。

 「本は若いうちに読んでおけ」という教訓の意味がよくわかった。もう手遅れかもしれないけど、まだ読めていない名作を今のうちに読んでおかねば。