本を読んで考えたこと

無性に何か書き残したくなる本に時々出会う。その記録。

『銀の匙』と比較(丸山健二『夏の流れ』)

  小説を読んでいると、自分ではどうにもならない直感が鋭く働いてしまうことがある。この本を読んだ時にもそれが起こった。中勘介『銀の匙』に似ている!と思った。

 単なる直感だけど少し深めたら面白いかなと思ったので書きます。深みにはまるとアレなので気軽に書きます。

●中勘介と似ているっぽいところその1「自らの原風景を描いているところ」

 原風景というのはきっと誰にでもあって、いつどこで見たとか何を感じたとか、具体的に記憶しているわけではないと思う。目にした気になっているだけで、実は自分が勝手に作り出した景色かもしれない。記憶の改竄かもしれない。でも確かに自分が経験したこととして記憶に残っているような、そんな景色。だからかなりおぼろげで、輪郭がはっきりしていないからこそ、赤の他人とも共有しやすいのでは。『夏の流れ』の中の短編はどれもそういう描写が多かった。(あぁ私も見たことあるこういうの)と視覚的に捉えて、どこか懐かしさを感じるような描写。

●中勘介と似ているっぽいところその2「読み手への期待度」

 「見てくれ!俺を見てくれ!俺の心の中をのぞいてくれ!」みたいな小説もあれば、「俺の中身はこんなんだぜドロドロドロ......わかる?」みたいな小説もあり、「僕の姿はこんなんです......少しでもわかっていただければ......」みたいな小説もある。要は読み手にどれだけ理解を求めているかの違い。私は最近フィクションはそういう風に読んでいる。この人はどれだけ読者にわかってもらいたがってんのかな、と。その度合いが、中勘介と丸山健二は似ていた。とてもとても控えめで、少年で例えるなら引っ込み思案。でも繊細だから、さらさらと穏やかに、時々チクッと痛む感じで思いが伝わってくる。太宰、谷崎、三島あたりはもう主張が激しすぎて稲妻かって勢いで攻撃してくる感じがする。それに比べたらこの短編集のなんと謙虚なこと。押入れの中でこっそり書いた小説を自分だけに読ませてくれている感じがする。優しい。

 

 以上、見当違いは承知で、直感を無理やり追求しました。『銀の匙』の記憶も薄れまくりなのでコイツ何言ってんだと思われても仕方ありません。

夏の流れ (講談社文芸文庫)

夏の流れ (講談社文芸文庫)