本を読んで考えたこと

ツイッターのロングバージョンです

村上春樹についてあれこれ言うことについて(村上春樹『職業としての小説家』)

村上春樹の小説は理屈抜きに、村上春樹だからではなく、名前が伏せられていても、めちゃくちゃ面白い。文字を追う眼球の動きが早くなる。嫌悪感を覚える描写があったとしても、空っぽスカスカじゃんと感じても、多分読者はなんとか最後まで読み通すと思うし、読み終わった後は何か言いたくなる。そうやって何か言いたくなる気持ちにさせることが、村上春樹の凄さの一つだと思う。

読み終わると、批判でも賞賛でも、とにかく読者の心には発信したい何かが残る。そうしてあらゆる世代のあらゆる人たちが様々に発信した言葉が蓄積していって、それを見て新たな読者が生まれるし、その人たちも刺激を受けて何か言いたくなる。これの繰り返しで、村上春樹は今も確実に文学史に刻まれていってるんだと思う。

だが、村上春樹は賞にこだわらない、文壇と距離を置いている、ごく個人的な生き方を好む、などで有名。だからもうそっとしといてあげてよ、黙っといてあげてよ、放っといてあげてよ、というのが私の昔からの本心。ファンとしての自分なりの思いやり。新刊を無条件に購入して読んで個人的に消化すれば、それだけで彼は十分なはず。この描写は何を暗示してるとか、このキャラクターが好き/嫌いとか、全体を通して何を言いたいとか深読みして分析するのは個人の好き好きだけど、「クソつまらん!良さわからん!」「いや面白い!村上春樹わかってない!」みたいな対立は労力の無駄だと感じる。だから黙っているのが賢明なんじゃないか、という結論。

この『職業としての小説家』は、こうやって私が勝手に想像していた彼の仕事観、小説観、人生観を包んでいたベールをかなり剥がしてくれた。もっと早く言ってくれてたら悩まなくて済んだよと思った。でも色んな人が色んなこと発信し続けていたからこそ今の彼が出来上がったし、新たな小説が生まれるし、このエッセイも生まれた。

読み終わって一つ言えることは、村上春樹は私が思っていたよりずっとずっと読者想いだったし、読者を信頼してくれているし、原動力にしてくれているということ。読者について、259ページにほっとすることが書かれていた。

寄せられた意見をひとつひとつ見ていくと、なにしろてんでばらばらみたいに見えます。でも何歩か後ろに下がって、少し離れたところから全体像を見渡すと、「この人たちは総体として、とても正しく深く僕を、あるいは僕の書く小説を理解してくれているんだな」という実感がありました。

 私が読んでこなかっただけで以前から言われていたことかもしれないが、今日これを読んで、私は村上春樹のことをどんどん発信してもいいんだと思えた。自分が発信すればするほど、彼を支える「総体としての読者」はどんどん大きくなっていく。そっとしておかなくても、黙っていなくてもよくて、自分が好きだとか面白いとか思えば素直にそう言えばいいし、つまらんと批判する人には「わかってないですよ!」と熱く語ってもいい。批判もどんどん受け付ければいい。批判も含め、読者があれこれ言うことを、彼は全然嫌がってないんだと分かって安心した。むしろありがたいと感じてくれて、モチベーションになるならこんな嬉しいことはない。

 

天邪鬼ということもあって村上春樹が好きでも斜に構えていた自分と、そんな自分の勝手な思い込みを反省した。これからは真っ直ぐに、積極的に、村上春樹ファン名乗って追っかけていきたい。

彼も60代半ばなので身体に気をつけて無理はしないでほしい。それでも1つでも多くの作品を生み出してくれたら、私はそれを歴史に刻むお手伝いをしたい。

職業としての小説家 (Switch library)

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